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大阪高等裁判所 昭和61年(う)478号 判決 1987年5月01日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岩嶋修治作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官永瀬榮一作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判決は、自動車運転の業務に従事していた被告人が、原判示日時ころ、大型貨物自動車を運転して、交通整理の行われている原判示交差点を南から西南に向かい大回りで左折し同交差点西側の横断歩道を通過するにあたり、その「直前で一時停止または徐行して横断者等の有無を確かめ、横断歩道上の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務」に違反し、「誘導者が左折進行するよう指示したことに気を許し、横断者等の有無等横断歩道上の安全を確認することなく、時速約一〇キロメートルで進行した過失」により、折から同横断歩道を南から北に向けて普通自転車に乗つたまま進行してきた上井正子(当時四六歳)に気付かず、自車左前部を右自転車に衝突させて同人を路上に転倒させ、よつて同人に対し全治三三八日間を要する頭部外傷Ⅰ型等の傷害を負わせた旨の事実を認定して被告人を有罪と認めたが、証拠によつて明らかな本件交差点付近の交通状況、被告人車の死角及び左折にあたつてのガードマンの指示の各存在、被害者上井正子運転の自転車の無理な横断方法等に照らすと、1原判決は、被告人に対し不可能な注意義務を課すものであつて、2被告人は、通常要求される注意義務を尽くしており、3本件事故は、被害自転車の無理な横断によつて発生したものであるから、被告人には注意義務違反がなく無罪が言い渡されるべきである。従つて、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討の上、次のとおり判断する。

一まず、原審記録によると、原判決は、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五九年四月二七日午後四時〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、羽曳野市軽里三丁目二二〇番地の三先の交通整理の行われている交差点を南から西南に向かい左折進行するにあたり、前記交差点の左方道路が鋭角であつたので、大まわりで左折するのであるが、同交差点西詰に横断歩道が設置されていたので、同横断歩道の直前で一時停止または徐行して、横断者等の有無を確かめ、進路の安全を確認して左折進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、誘導者が左折するよう指示したことに気を許し、横断者等の有無及びその安全を確認することなく、時速約一〇キロメートルで左折進行した過失により、おりから南から北に向けて対面青色信号により南北道路西側沿い歩道から同交差点西詰に設置されている横断歩道に進入してきた上井正子(当時四六歳)運転の普通自転車に自車左前部を衝突させて、同人を路上に転倒させ、よつて同人に加療約六七日間を要する頭部外傷I型等の傷害を負わせた」旨の公訴事実(なお、略式命令の「罪となるべき事実」もこれと同一)に対し、被害者の加療期間をその後変更された訴因のとおり「約三三八日間」とした以外、ほぼこれと同旨の事実関係を認定して、被告人を有罪と認めたことが明らかである。

二ところで、原判決挙示の証拠によれば、被告人は、車体の構造上運転席(右側)が高く左斜下方ないし左斜後下方直近(以下「左斜下方等直近」という。)の死角の大きい大型貨物自動車(コンクリートミキサー車。以下「生コン車」という。)を助手なしで運転して原判示交差点に南方から接近し、時速約一〇キロメートルの速度で大回りに左折しようとしたが、西側横断歩道の直前で一時停止することなくこれを通過しようとして、折から、左方の歩道から対面の青色信号に従いかなりの高速で右横断歩道を渡ろうとした上井正子(当時四六歳)運転の普通自転車(以下「被害車両」という。)に自車左前部を衝突させて同人を路上に転倒させ、よつて同人に対し全治までに三三八日間を要する頭部外傷Ⅰ型等の傷害を負わせた事実が認められ、右事実自体については所論もこれを争つていない。そして、被告人は、後記のとおり、右横断歩道の通過にあたり、左方の安全確認を自己の視野の範囲内では行つたが、交差点の約三〇メートル南方の一時停止地点を警備員(いわゆるガードマン。以下「ガードマン」という。)の左折の合図に従い発進して左折を開始したのち同人から左折中止等の合図を受けなかつたところから、南北道路西側の歩道より横断歩道を渡ろうとする歩行者・自転車がないものと考えて、右横断歩道直前で一時停止することなく前記の速度で通過しようとしたものであること、被告人車は、前記のとおり左斜下方等直近の死角が大きいため、同車が横断歩道直前に達した段階では、当時すでに同車の左方ないし左方やや後方ほぼ直近にまで接近していたとみられる被害車両を、進行中の被告人車の運転席から発見することは、不可能又は著しく困難であつたと考えられるが、横断歩道の直前で一時停止の上、助手席に移動するなどして死角内の安全を確認して進行していれば、本件事故を回避することができたことなどの点も、証拠上明らかであると認められる。従つて、本件における被告人の過失の有無は、被告人に対し、右横断歩道直前で一時停止の上右のような方法で死角を解消して進行すべき注意義務を課することができるか否かによつて決せられることになる。そこで、以下、右の点について検討する。

まず、横断歩道及び自転車横断帯(以下「横断歩道等」という。)における歩行者及び自転車(以下「歩行者等」という。)の通行の安全は、最大限度に尊重されるべきであつて、道路交通法三八条も、車両等が横断歩道等に接近する場合には、「当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等により進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車……がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前……で停止できるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道の直前で一時停止し、かつ、その通過を妨げないようにしなければならない。」と規定して、その趣旨を明らかにしている。ところで、被告人は、本件当時、左斜下方等直近の死角の大きい本件生コン車を助手なしで運転していたものであつて、左折中本件横断歩道直前に達した際、左方から右横断歩道を横断し又は横断しようとしている歩行者等の存否をそのままでは確認することができなかつたのであるから、道路交通法の右規定の趣旨にかんがみ、左方向からの横断者がないと信じるに足りる合理的な理由がない限り、横断歩道直前で一時停止の上、自車に設置された各種のミラーを通じまた必要に応じて助手席に移動するなどして左方(やや前下方から斜後下方までを含む。以下同じ。)の死角を解消し、左方からの横断者がないことを確認したのちでなければ、横断歩道を通過することは許されないと解すべきである。弁護人の当審弁論は、交通ひんぱんな道路における他の交通への影響を重視する立場から大型車両の運転者が交差点を左折して横断歩道を通過する際の一時停止及び死角解消の義務(以下「一時停止等の義務」という。)を一般的に否定するかのようであるが、そのような見解は、当裁判所のとらないところである。そして、本件において、被告人が横断歩道直前で一時停止の上左方の死角を解消して進行しなかつたのが、自車に左折発進の合図をしたガードマンから、その後左折中止等の合図を受けなかつたことによるものであることは前説示のとおりであるから、本件における被告人の一時停止等の義務違反の過失の有無は、横断歩道直前でガードマンから左折中止等の合図を受けなかつたことが、被告人にとつて、左方からの横断者がないと信じるに足りる合理的な理由といえるかどうかにかかるものというべきである。

一般に、私人による交通規制は、警察官によるそれに比し誤りを生ずることが多く、かつ、その性質上徹底しにくいものであることは、検察官が当審弁論において主張するとおりと考えられるから、私人による交通規制が行われている場合に、自動車運転者が右規制に従つていさえすれば必ず過失が否定されるということにならないのは当然である。しかし、私人による交通規制であつても、これを信頼して進行したため過失が否定される場合があることは、最高裁判所の判例(昭和四八年三月二二日第一小法廷判決・刑集二七巻二号二四〇頁)も認めるところであつて、結局、当該私人による交通規制の趣旨・目的、同人に課せられた任務・役割、同人が現実に行つていた規制の方法及びこれを前提とした当該場所における現実の交通状況等にかんがみ、これが自動車運転者にとつて信頼に値するものであると認められるときは、右規制に従つて進行する自動車運転者にとつて、本来同人に課せられている注意義務が軽減又は免除されることがあると解すべきである。従つて、本件における被告人の横断歩道直前での一時停止等の義務の存否も、右のような観点から、更に検討されなければならない。

三そこで、本件事故をめぐる事実関係を、証拠に基づきやや詳しく指摘してみると、次のとおりである。すなわち、

1  本件事故の発生した横断歩道は、南北に通ずる片側二車線の交通ひんぱんな国道一七〇号線(車道部分の幅員片側約七・四メートルで、中央分離帯によつて区分されている。以下「南北道路」という。)と、東北から西南に通ずる幅員約六メートルの歩車道の区別のない道路(以下「東西道路」という。)とが鋭角に交わる交差点(大阪府羽曳野市軽里三丁目二二〇番地の三先の通称軽里南交差点。以下「本件交差点」という。別紙現場概要図参照。)の西側に、南北に通ずる歩道の切れ目をつなぐような形で、設置されたものである。なお、右歩道は、その直前でゆるやかな勾配をもつて横断歩道に接しており、右歩道と横断歩道の間に段差はない。

2  王水産業株式会社勤務の運転手である被告人は、株式会社大林組が羽曳野市から請け負つた西浦受水槽の建築工事現場へ生コンを運搬するため、本件当日、本件交差点の東方約二〇〇メートルの地点にある生コン置場と同じく西方約二〇〇メートルの地点にある工事現場との間を前記生コン車を運転して往復していた。本件事故が発生したのは、当日の第五回目の運搬時であるが、被告人は、前四回と同様、右生コン置場で生コンを積載した自車を運転して出発し、いつたん南進したのち右折を二回繰り返して南北道路を北進し、本件交差点の手前約三〇メートルの地点で車体を道路左側端に寄せて停止・順番待ちの上、ガードマン堺作次郎の左折発進可の合図に従い、左折のウインカーを出しながら低速で発進し、いつたん右転把して時速約一〇キロメートルの速度で中央分離帯近くに達したのち、急激に左転把して大回りに左折し、やや速度を落として、前記横断歩道にさしかかろうとした。

3  堺ガードマンは、当日、南北道路西側歩道上の交差点寄り北端で、トランシーバーにより工事現場からの連絡を受けては、予めの打合せに従つて交差点南方約三〇メートルに停止待機中の生コン車に左折発進可の合図を送るなどの作業に従事していたものであるが、本件事故発生の直前においても、それまでの生コン車の左折時とほぼ同様に、工事現場からの連絡をトランシーバーで受けるや、南北道路の西側の歩道上を被告人車の四、五メートル近くまで歩み寄り、被告人に対し、動作と声で発進の合図を送つたのち、車道上に下りて、被告人車が第二車線に進出したために生じた第一車線の間隙に進入する後続車両の有無に注意しながら、北方を向いて小走りにしばらく被告人車と併走し、その際、右手を前後に振つて被告人に対し進行を促す合図を送り続けた上、交差点の南西角付近の車道上で、第一車線を進行してくる後続車両等がないことを確認するや、今度は、西方(左方)に注意しつつ、左折中の被告人車の前面を斜めに横断する形で、交差点西側の横断歩道を西寄りに斜めに渡り、右横断歩道のすぐ西側に位置する東西道路北側のフェンス前付近に至り、被告人車の左折後の進行方向(西南方向)に注意を向けた。本件事故は、その直後に発生したものである。なお、堺ガードマンの被告人車に対する前四回の合図の仕方は、右とほぼ同様であるが、同人は、南北道路西側の歩道から横断歩道を渡ろうとする歩行者等がある場合には、適宜引き返すなどして歩行者等の進行を一時制止していたので、被告人としては、同人から左折中止等の合図がない以上、横断歩道上における歩行者等との衝突の危険はないものと考え、横断歩道直前で一時停止することなくこれを通過していた。

4  他方、被害者上井正子は、住友生命株式会社藤井寺営業所勤務の外務員であるが、当時、営業所へ早く帰ろうとしてかなり急いでおり、南北道路の西側に沿う、自転車通行可の標識のある歩道を普通自転車に乗つて北進中であつたところ、横断歩道の手前十数メートルの地点で対面の青色信号を確認し、かつ、被告人車に進行可の合図を送つている前記堺ガードマンの後ろ姿を見て、同人が自己に進行の合図を送つているものと思い込み、懸命にペダルをこいでそのまま直進し歩道の延長上にある横断歩道を渡ろうとし、歩道から横断歩道に下りた直後に被告人車の左前部に自車を衝突させた。同人は、右衝突の瞬間までの被告人車の存在に全く気付いていない。

5  被告人は、本件交差点を左折中、前記3のとおり、堺ガードマンが自車の前面を斜めに横切つて東西道路北側のフェンス前付近に至つたのを認めたが、自車の進入しようとする東西道路の幅員が狭く、かつ、その北側に張られた金網のフェンスと接触するおそれもあつたので、一瞬右前方に注意し、また、自己の視野の範囲内で左方の安全をも確認したのち、横断歩道内に時速約一〇キロメートルをやや下回る速度で進入したものである。

以上のとおりである。被告人の原審及び当審公判廷における各供述並びに原審証人堺作次郎の原審公判廷における供述中には、一部右認定と抵触する部分があるが、右各供述部分は、その余の証拠と対比して措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四次に、本件交差点にガードマンが配置されるに至つた経緯及び同交差点における現実の交通状況等は、おおむね、次のとおりであつたと認められる。すなわち、

1  羽曳野市水道局からの工事を請け負つた大林組は、①本件交差点と工事現場との間の道路(東西道路)の幅員が狭く、途中で生コン車が離合できないことや、途中に中学校があつて交通事故発生の危険があることに配慮し、更には、②生コン車の左折に伴う本件交差点内の危険の防止及び交通の混雑緩和をも目的として、本件交差点及び途中の三差路交差点等に常時三、四名のガードマンを配置することとし、建築工事の本格化を間近に控えた昭和五八年一二月末ころ、ガードマンの派遣を受け持つひまわり警備保障株式会社及び前記王水産業等の各責任者の出席を求めて安全衛生協議会を開き、右意向を伝えるとともに、ひまわり警備保障の責任者に対しては、ガードマンは、現場の交通と安全についても配慮の上第三者即ち通行人優先でやつてほしい旨を、王水産業の責任者に対しては、運転者をガードマンの指示に従わせてほしい旨を、それぞれ要請した。

2  王水産業の責任者は、工事が本格化した昭和五九年一月七日以降、工事の状況等に応じ、同社の保有する約二〇台の生コン車を適宜必要な数だけ出動させて生コンを工事現場へ運搬させていたが、前記協議会における大林組の意向に従い、出動する生コン車の運転者に対し、現場におけるガードマンの指示に従うよう注意を与えており、本件当日被告人も右の指示を受けていた。

3 本件当日本件交差点への出動を命ぜられたひまわり警備保障勤務の堺ガードマンが生コン車の運転者に対して行つた左折進行可の合図の仕方は、前記三3認定のとおりであるが、右は、従前同交差点に配置された他のガードマンによるそれと大差はなく、当日出動した生コン車の運転手はもとより、多い日には一五分に一台の割で右交差点を左折し工事現場に向かう生コン車の運転者は、ガードマンから格別の指示がない以上、横断歩道直前で一時停止することなくこれを通過していたものであり、これにより他の車両・歩行者との間で問題を生じたことはなかつた。

以上のとおりである。なお、右1の点に関連し、大林組の責任者である当審証人渡辺茂和は、交差点に配置されたガードマンの任務は、本件交差点と工事現場の間の狭隘な道路において生コン車が行き合うことにならないようにすること等に止まり、本件交差点内における交通の安全確保等の点はこれに含まれていないとの趣旨の供述をしているが、右供述は、歩行者等との事故防止も自己の任務と考えていたとする原審堺供述や証拠によつて認められる前記三3のような堺の現実の行動と矛盾するのみならず、右供述によれば、本件工事の施工者である業界大手の大林組が、多い日には一五分に一台の割合で終日本件交差点を通過していく生コン車の左折に伴う危険の防止や混雑の緩和に何ら配慮していなかつたことになり常識に合致しないことなどに照らし、にわかに措信し難い。従つて、大林組による本件交差点へのガードマン配置の目的は、安全衛生協議会における右渡辺の指示内容等に照らし、前記1①②摘示の双方であつたと認めるのが相当であり、このような目的のもとに配置されたガードマンの任務の中には、工事現場からの連絡に基づき、一時停止地点に停止中の生コン車の運転者に対し左折進行可の合図をして左折を開始させることだけでなく、第一車線を進行してくる後続車両や歩道から横断歩道を渡ろうとする歩行者等との衝突回避にも配慮し、必要に応じ車両や歩行者に警告や規制をしたり生コン車の運転者に適切な指示を与えるなどして、安全かつ速やかに同車の左折を完了させるための誘導をすることも含まれていたと認めざるを得ない。そして、本件事故の三か月以上前から本件交差点に配置されていたひまわり警備保障派遣のガードマンらは、現実に前記三3及び四3認定のような方法で生コン車の左折を誘導することにより、同車の運転者の注意能力を事実上補完し、死角の大きい多数の生コン車の左折に伴う危険の防止や混雑の緩和という自己に与えられた任務を、おおむね適切に果たしていたものであり、本件当日の堺も、その例外ではなかつたと認められる。

五以上の認定によれば、本件当日、本件交差点においては、工事現場に向かう多数の生コン車の左折に伴う危険の防止や混雑の緩和をもその任務とするガードマンが配置されており、同人は、交差点の手前約三〇メートルの一時停止地点に停止待機中の生コン車の運転者に対し、その前方至近距離から左折発進可の合図を与えたのち、しばらく同車と併走しながら左折進行可の合図を送り続けた上、大回りで左折する同車の前面を斜めに横切つてその右斜め前方直近の地点に達し、同車の進行方向の状況を確認するとともに、横断歩道を渡ろうとする歩行者等がある場合には適宜これを制止するなど、三か月以上も前から同所に配置されていた他のガードマンらと同様、おおむね適切な方法で生コン車の左折を誘導していたことになり、従前、右ガードマンの誘導に従い横断歩道直前で一時停止することなくこれを通過していた生コン車と他の車両・歩行者との間で問題を生じたことがなかつたこと等にも照らすと、本件当日、ガードマンから従前と同様の方法で誘導を受けつつ本件交差点を左折中であつた生コン車の運転手である被告人については、右ガードマンにおいて、自車の左斜下方等直近の死角内の安全を確認して誘導してくれており、同人から左折中止等の合図を受けない限り、右死角内には横断者等がいないと信じるに足りる合理的な理由があつたというべきであつて、被告人に対し、右ガードマンの配置・誘導等がない場合と同様に、横断歩道直前における一時停止等の義務を課するのは相当でない。(なお、本件において、被告人車の左折を誘導した堺ガードマンは、被告人車が横断歩道直前に達した際、被告人車の右斜め前方直近の地点に佇立して、その進行方向に注意を向けていたことが明らかであるが、同人は、当日の前四回の被告人車の通過時に歩道から横断歩道を渡ろうとする歩行者等がいた場合には、適宜引き返すなどして歩行者等を規制していたこと前認定のとおりであり、同人の右佇立地点からは、被告人車の前面の横断歩道を渡ろうとする歩行者等の存否を確認すること及びこれを発見した場合に被告人に対し左折中止の合図をすることがいずれも容易であつたと認められるから、被告人車の横断歩道通過時に堺が被告人車の右斜め前方にいて被告人車の進行方向に注意を向けていた点は、右結論を左右しない。また、検察官が当審弁論において引用する大阪高等裁判所の判例は、ガードマンによる規制の事実上の効果及び被告人車と被害車両の相互の位置関係等注意義務の存否の判断上重要な前提事実を異にする事案に関するものであつて、本件に適切な先例とはいえない。)しかして、本件において、被告人は、大回りで本件交差点を左折し西側横断歩道直前に達した段階で、自車の左折を安全に誘導すべきガードマンから左折中止等の合図を受けておらず、また、自席において、自車に設置された各種ミラー及び肉眼により、自己の視野に入る限度で左方の安全を確認し、前示のように時速約一〇キロメートルをやや下回る速度で徐行しつつ横断歩道を通過しようとしたものであるから、被告人としては、自動車運転者として課せられる注意義務を尽くしたものと解するのが相当であり、その過失を肯定することはできない。

そうすると、これと異なり、被告人に横断歩道直前における一時停止等の義務があるとして過失を認めた原判決は、事実を誤認したものといわざるを得ず、右事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は、破棄を免れない。論旨は、理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄した上、同法四〇〇条但書に則り、当審において、直ちに次のとおり自判する。

本件公訴事実の要旨は、前記一において摘示したとおりであるが、すでに説示したところから明らかなようにその証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法三三六条により、右公訴事実につき無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官野間禮二 裁判官木谷明 裁判官生田暉雄)

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